江戸時代の不義密通
江戸時代とはだいたい1603年から1868年くらいですが、この頃の不倫の慰謝料の資料が残っています。慰謝料を支払って、示談で終了するというものです。
時代が異なると、社会の価値観も異なり、人の生活も気持ちも異なることがあるようですが、不倫は昔からずっとあったようです。
現在でも、不倫相手に謝罪文や、今後、一切交際しないとうような誓約書を差し入れることがありますが、昔も同じだったようです。以下、私の現代語訳ですから心もとないのですが、だいたいのことはお伝えできると思います。
お詫び状
貴殿の妻・おかつ様に横恋慕し、貴殿の留守中に不貞行為に及んでしまい、誠に申し訳なく、お詫び申し上げます。
このような事態に至ったからには、提訴されても当然のところ、格別のご配慮をもって示談としていただき、大変感謝しております。
以後、おかつ様に出会うことがっても、声を掛けることもいたしません。
万一、私がこの約束を違えるなどなどがあれば、法的措置をとられることに何ら異議を唱えるものではありません。
今後のために、以上の証文を差し入れます。
どのように発覚したのかわかりませんが、「おかつ」さんが不倫をしたことがわかりました。「おかつ」さんの夫が奉行所へ訴えた場合には、江戸時代なら、不倫の当事者はかなりの重罪でした。
示談にしましょう
しかし、家の恥を晒したくないとか、あるいは、夫が「おかつ」が罪に問われることを気の毒だと思ったのか、法的措置をとることなく、この示談書を受け取ったようです。
不義密通(不倫)がかなりの重罪とされていたということは、妻が不倫をすれば、夫自身にとっても、家にとっても不名誉、恥だったと思われます。だから表沙汰にせずに示談で済ませたのかもしれません。
不倫の慰謝料は「償金(つぐないきん)」というようで、上の示談書でご紹介したケースですと「七両二分」となっています。
この当時の「七両二分」とは、本当に七両二分なのではなく、「庶民にとっては縁のないほど高額な額」という意味だという説もあるようです。時代によって、地域によって、ケースによってかなり異なります。
それにしても、以下の点が問題となっているのは、現代の不倫の慰謝料についての示談書・合意書などとあまり変わりません。
不倫は違法か
現在では上の3つとは別に、
「不倫の是非(良いことのはずはないとしても、特別に悪いことではないから、不倫の慰謝料など支払う必要がない)」
を問題にする人もいます。
たとえ不倫があったとしても、法的に否定のしようがない証拠を出し、不倫の慰謝料の金額も裁判官に判断してもらわなければ、支払いに応じない、という人もいます。
江戸時代でも、規則に従って杓子定規なことも多かったのだろうと思いますが、まずは「内済」といって、現在の示談とか協議のような形で解決することが多かったようです。
「不倫は悪くない」と思う人が江戸時代にもいたかどうかも気になります。江戸時代の規則は厳しいものでしたが、実生活は意外と自由奔放であったようです。女性が強い立場にいたうえ、やはり本音とタテマエがありますから、実情はなかなかわかりません。
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