争いごとは恥ではない

争いごと

善い人の数は悪い人より多いと思います。心の中の善い部分は悪い部分より多いと思います。

それでも社会生活をしていると、意見の不一致・利害の対立などは意図してなくても必ず起こるようです。別の言い方をすると、「トラブルは、生きているかぎり、自然に起きる。」と思います。仕方がありません。

その場合、心がけることは、

  • 問題を大きくしない。
  • 早く解決をする

ということでしょう。そのために、

  • まず冷静になる。
  • 正確な情報・事実を集める。
  • 適切な判断をする

ように工夫しましょう。彩行政書士事務所はそのお手伝いをします。「まず冷静になる」と書きましたが、「相手が悪い人だから、自分が大きな犠牲を払ってでも徹底的に懲らしめよう。」というほど熱くならないほうがお互いのためです。「人を呪わば穴二つ」ということになりかねません。かといって、人を恨まず自分は我慢していれば、悪(相手)が栄えて、心優しい人・気の弱い人は滅びていくでしょう。ここで、昔、田畑を持っていた人たちの「水争い」をご紹介します。

水争い

小田急線と南武線の交差する登戸駅のそばに、善立寺があります。以前は【小田急のサイト】に、次のような紹介があったのですが、現在は消去されていると思います。

『847年、 慈覚大使円仁 ( じかくだいしえんにん ) が天に登り飛竜となった女性の勧めにより竜登山という寺を建立したのが始まりで、1630年には幕府の弾圧により廃寺となりましたが、日徳が再興して現在の善立寺に至っています。同寺に残っている「用悪水出入一件」には、二ヶ領用水の完成後40年にわたる水の分配争いの話が記録されており、参道脇にはこの争いの調停に奔走した井上弥兵衛が建てた妻の供養塔が建てられています。また、1873年に善立寺に開校された旧登戸小学校の碑が建てられています。』

この説明では事情がわかりませんが、かつて大変な水争いがあったようです。

内容証明 川崎市 争い

昔は、飲み水も畑の水も、人より多いか少ないかといのは死活問題でした。全国的に紛争例が多かったのは当然ですが、この争いごとを、お上に訴えれば死罪だった時代もあったので、義民の言い伝えがたくさんあります。

田んぼへの水の配分をどうやったら平等か、不満がなくなるかという工夫は各地で非常に綿密になされました。単に「仲良くやればいい。」「譲り合いが大切。」などと言っていられるものではありません。話し合い・法(掟・ルール)・科学技術の利用など、その工夫の仕方は文化全体に及ぶといってもよいでしょう。地域にもよるでしょうが、特に年配の方ですと、土地を買うとか家を建てる場合に、水利を入念に確認する人がいます。昔の水争いの苦労をご存知なのでしょう。

用悪水路という「地目」

解説文に出てくる「用悪水出入一件」とは「用悪水路」のことと思われます。用悪水路とは地目のひとつです。地目には「宅地」とか「畑」などがあります。
用悪水路は、「かんがい用又は悪水排泄用の水路」で、田や畑に水を供給したり、使用後の水を排泄する水路です。

さて、善立寺の話に戻りますが、解説の中の「この争いの調停に奔走した井上弥兵衛が建てた妻の供養塔」と書かれていますが、どうしてここに「妻」が登場するのかわかりません。
井上弥兵衛さんの苦労を支えた妻が過労・心労で亡くなったのかなと思いますが、そこまではわかりませんでした。善立寺に残っている「用悪水出入一件」を読めばわかるのでしょう。

争いごととは

世界では、今後、人口増加のために食糧などさまざまな資源が不足すると予想されます。漁場、水、地下資源等の争奪戦があるかもしれません。苦労を知らない人がきれいごとだけを言っていて済む問題ではありません。
もっともこれは将来の話ではなく、過去の争いや戦争もほとんどがこういう事情です。

争いごとは恥ではない

この記事のタイトルを「争いごとは恥ではない」としましたが、「争いごとは好むと好まざるとにかかわらず、とにかく起きる」というところが肝心です。その争いを恥だと思って泣き寝入りしたり、目を背けたりしないで、「乗り越える」ことが重要だと思います。

主張すべきことを主張しないと、話し合いやルール作りができないため、正義が実現されません。図々しい人の天下になってしまいます。

話し合いがきちんと進まない場合は内容証明郵便を検討してはいかがでしょうか。
内容証明によって、経緯を確認し、同じような問題が一般にどのように解決されているかなどを紹介し、また、こちらの提示する和解案等を受け入れないなら今後どのような展開になるかを示します。これが内容証明郵便の本来の使い方だと思いますが、事案に応じて対応を考えます。

内容証明を出したら喧嘩になるとか、裁判になるなどと考えないでください。まず、きちんとこちらの立場を説明することが大切です。実際に法的措置をとるかどうかは、それからの問題です。もちろん、世の中には「悪い人」「意地悪な人」もいますから、必要に応じて法的措置をも辞さない覚悟はお持ちになっていてください。少なくともその気力が重要です。

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