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遺言書ではありません
遺言書とは、自分亡き後、どのように相続させるか等を指示しておくものですが、リビングウィル(リヴィングウィル)といわれるものは、まだ死亡していないけれども、治る見込みがない場合に備えるもののことです。これは遺言書ではありませんが、事実上、遺言書と似た面があるので、ここに記載します。遺言書と同じような効力がある可能性もあります。
安楽死と尊厳死
リビング・ウィル、リビングウィル、Living Will、安楽死と尊厳死等、いろいろな言い方があるようです。それぞれの違いや、学術上・道徳上の議論は他に譲ります。
ここでは、ご自分が治る見込みのない病気になって苦しくてたまらないとか、家族の負担や生きる意味などを考えて、万が一の時の決意を家族や医師に伝える方法をお考えの人のために当事務所の業務としてお知らせします。
- 誰にでも必ず死期がきますが、その死期を他人が勝手に決めるわけにはいきません。医学が進歩し、表現が適切でないかもしれませんが、いわゆる「植物人間」として生命を保つこともできるし、寝たきりで過ごすこともかなり可能となりました。
- 自分はそのうような生命の保ち方をしたくない、という考えの人がいます。意識がなければ少なくとも自分は苦しくないでしょうが、家族などは苦労します。また、寝たきりで動けないけれども意識がある場合は苦痛を伴うことがあるかもしれません。
- 私(注:私というのは、彩行政書士事務所の所長のことです)の母は死亡する少し前、自分で話すことも動くこともできませんでした。ある日、私が見舞いに行って、枕を動かすと非常に痛そうな顔をします。「枕を動かしただけなのに痛いの?」と話しかけると、目で上のほうを合図します。上を見ると、髪の毛が機器に挟まって引っ張られていたのでした。それでも自分では何も言えない状態でした。また、治る見込みのない病気だということもよく知っていました。
- 自ら命を絶てる状態ではないのですから、もしそれを望むなら誰かにこの気持ちを伝えて実行に移してもらうしかありません。一番身近なのは医師でしょう。その医師が場合によっては罪に問われることがありますから、医師としてはためらうに違いありません。
- そこで、自分の判断能力がしっかりしているうちに、この決意を正確に表現しておけば、医師も罪の問われることなく、実行できるかもしれません。あくまでも「かもしれない」という程度ですが、これ以外に方法はないでしょう。
- 私は遺言書(の「付言事項」)の場合と同様に、「なぜ、自分はこう考えるに至ったか」を丁寧に、わかりやすく、毅然として表現しておくことをお勧めししています。ですから、百人いれば百通りの表現があるでしょう。「私は治る見込みのない病気になったとき、単なる延命治療はお断りします。」と書いただけでは不十分かもしれません。
- このような業務は引き受けていない行政書士もいるようですが、私はこれも「文書作成の専門家」として極力お引き受けしています。
尊厳死宣言書の例
以下、典型的な書き方をご紹介しておきます。
『私は、私の病気が不治であり、かつ死期が迫っている場合に備えて、私の家族、縁者ならびに私の治療に携わっている方々に次の要望を宣言いたします。
なお、この宣言書は、私の精神が健全な状態にあるときに書いたものであります。
したがって、私の精神が健全な状態にあるときに私自身が破棄するか、または撤回する旨の文書を作成しない限り有効であります。
1 私の病気が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には、いたずらに死期を引き延ばすための延命治療は一切お断りいたします。
2 ただし、この場合、私の苦痛を和らげる措置は最大限にしてください。そのため、たとえば、麻薬などの副作用で死期が早まったとしても、一向にかまいません。
3 私が、数か月以上にわたって、いわゆる植物状態に陥ったときは、一切の生命維持装置を取り外してください。
以上、私の宣言による要望を忠実に果たしてくださった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望にしたがってくださった行為の一切の責任は私自身にあることを付記いたします。
○年○月○日
住所
氏名 印
○年○月○日生』
他の書き方もありますし、公正証書にする方法もあります。この書面の効果を断言できるものではありませんが、自分の意思をこのような形で表明しておくことはできます。