江戸時代の不倫の慰謝料

江戸時代はすぐそこ

江戸時代のことを知っても役には立たないと思われるかもしれませんが、江戸時代は「ほんのちょっと昔」です。
先祖供養などのために3世代くらいさかのぼると、江戸時代になってしまうことはよくあります。江戸時代に生きていた自分のご先祖様の名前も結構わかります。(戸籍が廃棄されればもうわかりませんから、知りたい人は急いで調べてください。)

人間は100年や200年で大きく変わるものではないという話もあります。法律は変わっても、考え方や慣習は変わらないという点もたくさんあります。

江戸時代の不倫の慰謝料

江戸時代にも不倫(不貞行為・不義密通)はありました。
奉行所へ訴え出て重く処分してもらうことも可能ですが、それはタテマエで、実際にはほとんど示談により慰謝料を支払って解決したようです。

では不倫の慰謝料はいくらだったのかですが、江戸初期は5両だったそうです。その後7両2分となりました。7両2分というのは5両の1.5 倍、つまり5割増しです。

物価上昇に合わせて5割増しになったのではありません。江戸時代は非常に物価が安定しており、大きな物価上昇はなかったのです。大雑把な話ですが、そばの値段(一杯が16文)や銭湯の入浴料(大人6文、子供4文)は200年間変動がありませんでした。

5両とか7両2分がどのくらいの価値かというと、中流家庭での収入がひと月だいたい2両ですから、2〜4か月分前後の収入額と同額ということになります。中流家庭というのは、たとえば大工さんなどの職人です。

ひと月に2両の収入で普通に暮らせば家族持ちでも貯金ができたようです。ひとり暮らしの男なら、3両で1年間暮らせたという話もあります。

独身男性が、人妻と不倫をし、夫に慰謝料を支払うとすれば、それほど大変な額ではないと思います。ひと月に2両の収入があり、1年間は3両で暮らせたとすると、7両2分の支払いは容易だったことになります。それほど大変な額ではないから、「相場」として定着したのかもしれません。

もっとも、物価上昇がないので、その日暮らしでも安心だったために、「江戸っ子は宵越しの金は持たない。」、つまりお金が手に入っても、将来に備えて貯金などしなかったわけですから、ポンと支払うわけにはいかなかったかもしれません。しばらく支払いを待ってもらうとか、借金をして支払うということもあったでしょう。

現在の不倫の慰謝料の額と比較するとどうでしょうか。

 

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